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夜行館座長笹原茂朱さんは土着にこだわる
青森県つがる市木造に拠点を置いて10年目の劇団「夜行館」がこの夏から新作を展開、9月には東京・亀有香取神社で公演を行う。座長の笹原茂朱(もしゅ)さん(69)は、明大演劇科で同期だった唐十郎と状況劇場を創設した人。だが日本人の情念を表す芝居の原点を求め、都市のアングラから土着の小屋掛け芝居に転じた。各地をさすらった後、73年から10年間は弘前市を拠点にした。笹原さんに、なぜ小屋掛け芝居なのか、なぜ津軽なのかを聞いた。
--夜行館の芝居の特徴は?
「公演は野外、特に神社での公演が多いです。神社の闇は広場の闇とは違う。非日常の空間。照明はロウソク、かがり火、松明といった生火(なまび)は必ず使う。黄昏から闇への移行の時間に芝居は始まる。登場人物は、あの世から現れてくる。音楽は現代音楽や、ねぷたの囃子を使います。現在団員は10人。うち7人は地元津軽出身です」。
新作は津軽悲劇3部作「無縁童女往生絵巻」、今年から1年1作で展開する。第1部「童女誕生篇」は、胎児のまま死児となった無縁童女が、津軽の自然が持つ”太古からの生気”を一身に受けて、死児から繭となって胎児に転生していく物語。7月から地元で巡演した後、9月には東京・亀有香取神社で公演する。
「亀有香取神社では生火を使ってもいいというので楽しみにしています。東京の神社では、なかなか許可してくれないんですよ。ねぷたも東京に持って行きます。お祭り好きな下町の人たちがどんな反応をみせるか、今からわくわくしているんですよ」。
笹原さんは演劇を志して明大演劇科に入学したが、教養主義の新劇に反発。意気投合した唐十郎と63年「状況劇場」を結成した。しかし翌年脱退、68年夜行館を創設した。前衛的アンダーグラウンド演劇の第1世代といわれた。
--状況劇場を脱退したのはなぜですか?
「自分の目指しているものと何か違うなという気がした。私は芝居の原点は見せ物だと思う。下町育ちの唐も見せ物を目指していたが、あくまで都市の見せ物で虚構の世界。自分はそのままの、本物の見せ物をやりたかった。虚構が実在にひっくり返るような芝居をやりたかったのです」。
笹原さんはおわら風の盆で知られる富山県旧八尾町(現富山市)育ち。風の盆の影響もあるが、それより子供のころに見た見せ物が原体験という。
「毎年夏、近くのお寺の境内にサーカスや見せ物小屋が建った。ろくろ首、カッパとかね。一日中いて口上を覚えてしまった。あの呼び込みの技術、だましの技術はすごい。鳥肌立つような。本物の見せ物にはかつての河原者の魂が隠されています。演劇の本質は小屋掛け芝居だと思う」。
東京・新宿などでの夜行館の公演は高い評価を受けたが、71年、東京での一切を捨てて旅に出た。妻で役者の阿修舞と、劇団の役者の六道旅人と3人で、四国八十八カ所を、小屋掛け芝居をしながら巡礼した。大八車を引いて1日20キロを歩き、テント、寝袋、飯ごうの生活を通した。その後各地を巡演しながら北上し、72年に青森入り。
--なぜ青森へ?
「直感です。突然恐山が思い浮かんだ。漂白するのは北だ、と思った。恐山。すごかった。肌で感じた。北が隠し持っているもの、それを演劇の人間としてつかみたい、何かを感じ取りたい。それで青森にとどまる決心をしました」。
--そして弘前に拠点を構えた。そのわけは?
「夏に弘前でねぷたと出会った。血が逆流するようだった。あの世とつながっている。日本人の命の根源だ。闇に対する感受性、土に対する思い、それを象徴するのがねぷたです。ねぷたに、探していた闇があり、その闇に情念、土着、ドラマをみつけたのです」。
10年間弘前を拠点に活動した後、82年東京に帰ったが、98年再び津軽へ。夫人の阿修舞が95年に病気で他界。弘前で生まれた二人の子供が成人独立したのを機に、単身津軽に戻った。今度は旧木造町(現つがる市)を拠点に定めた。
「木造に平滝沼という沼がある。これを見たとき、初めてなのに懐かしさを感じた。そして日本海に面した七里長浜は、この世の果て、あの世の海岸だと思った。豊穣な何かがある。ここだ!と決めました」。
--最後に、夜行館の今後について
「夜行館は土着の『青森演劇』だが普遍性を持つ。その普遍性を東京や海外にも広げ、挑戦していきたい。青森の風土の根源、土着の魂を観客に全身で感じ取ってもらいたい。いずれは演劇発祥の地・ギリシャで公演するのが夢です」。【構成・北村宏平】
[2007年6月20日12時28分 紙面から]
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