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盛岡商が決勝進出!V王手/高校サッカー

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八千代に勝利し笑顔の盛岡商イレブン(撮影・たえ見朱実)
八千代に勝利し笑顔の盛岡商イレブン(撮影・たえ見朱実)

<高校サッカー:盛岡商1-0八千代>◇準決勝◇6日◇国立

 盛岡商が、初の決勝進出を果たした。八千代(千葉)戦の後半ロスタイム、MF林勇介(2年)の右CKが、相手GKのパンチングミスを誘ってオウンゴールとなり、1-0で辛勝。指導者生活37年目の斎藤重信監督(59)は、自身初の国立競技場の晴れ舞台に立っただけでなく、チームを初の決勝に導いた。岩手県勢では遠野以来46年ぶり、東北勢では66年度大会の秋田商(藤枝東=静岡=と両校優勝)以来、40年ぶりの決勝進出。明日8日の決勝で、岡山県勢初の決勝進出を果たした作陽と対戦。岩手勢初の優勝を目指す。

 後半のロスタイム。オウンゴールにつながる右CKを蹴った林が、斎藤監督の元に走ってきた。しかし、名将に油断はなかった。迎えて抱き締めるわけにはいかない。まだ試合中だ。「戻れ!」と一喝して、ピッチへ送り出した。「別に選手1人だけの力でゴールを挙げたわけではないから」。2選手が来季Jリーグ入りする八千代を完封した守備陣にも、気を配った。自身初の国立の舞台、しかも勝利という最高の形で飾っても、冷静に試合終了のホイッスルを聞いた。「選手がよく頑張ってくれた。後半は自分たちのリズムを感じて、攻撃に入ってくれた」。自らの采配より選手への感謝の言葉を並べた。

 70年に順大を卒業し、遠野農(現遠野緑峰)、盛岡商、大船渡でサッカー部監督を続けてきた。今年で37年目。その間、選手権出場15回(大船渡3回)。大船渡監督時代にはメッシーナの小笠原満男を指導するなど、輝かしい経歴だが、苦労と無縁ではなかった。「最初に遠野農に行ったのも、別に希望したわけじゃない。遠野との練習試合では、10失点とか20失点とかしていた」。しかし、あきらめなかった。選手全員の走力を上げ、就任翌年には強豪チームの遠野からも白星を挙げるようになった。

 「私は怒りっぽいから、高校生の指導がちょうどいい。何を言いたいか感じ取ってくれる」。大船渡監督時代の92年に喉頭(こうとう)がんを手術した影響で、現在でも声が出ずらい。ピッチ外からの掛け声も選手には届かない。それでも選手は監督の指示を理解し、動いた。身ぶり手ぶりで守備ラインの上げ下げや、相手選手のマークを指示した。「選手は僕が何を言いたいか、本当は分かってないんじゃないかなあ」。冗談を飛ばす口調にも余裕があった。

 家族のサポートなしでは、聖地・国立にはたどり着けなかったはずだ。この日は妻侑子さん(59)、娘の早川真理子さん(31)が雨の中、観客席で声援を送った。サッカー部監督の生活は一年中、ほぼ毎日、選手とともに過ごす。侑子さんは、ひたすら育児と家事に専念した。「今まで選手権はすべて観戦しました。今年は格別の思いです」。昨年11月に冠動脈血栓を患い、入院を強いられた夫にも付き添った。「病院の方々も、選手権に間に合うように治療してくれた。本当に感謝しています」と、感無量の表情を浮かべた。

 選手たちに病名が知らされたのは、今大会開幕の直前だった。無理をしている監督の期待に応えようと、一丸になって決勝の晴れ舞台にまで駒を進めた。DF藤村健友主将(3年)は「体を犠牲にして、熱心に教えてくれる。自分たちにとって、大切な監督ですから」と話した。決勝点に絡んだMF林も「監督と一緒に優勝したい」と力を込めた。斎藤監督は来年度で定年を迎える。初めて決勝に進出した監督としては最高齢の指揮官とともに、盛岡商が初優勝へあと一歩と迫った。【柴田寛人】

[2007年1月7日10時42分 紙面から]


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